織田信秀の病没年については、1549年(天文18年)説、1551年(天文20年)説がある。

※1:

天文21年(1552年)
1月27日  高遠頼継、甲府に出仕し、武田晴信に自害させられる。
2月10日  長尾晴景、病没。
3月3日  織田信秀、病没。享年41歳【※1】
この年の
出来事
 織田信友の臣坂井大膳が織田信長を討とうするが、失敗。
 土岐頼芸、斎藤道三に再度美濃国を追放させられる。
 古河公方足利晴氏、隠居する。
 武田義信、今川義元の娘を娶る(甲駿同盟)。
 織田信長が家督を継ぐと、織田家家臣、鳴海城主山口教継が今川氏へ寝返り、子の教吉に鳴海城を守らせて、教継は桜中村城に籠る。これを受け、信長は兵800を率いて鳴海城を攻めるも落城させることはできなかった。
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