井伊 直孝 いい なおたか  直政の次男。彦根藩3代当主。大坂の陣では井伊軍を率いて軍功を挙げている。
 「夜叉掃部(やしゃかもん:夜叉のような掃部頭(かもんのかみ)」の異名で剛毅な体躯と武力を恐れられたが、字をあまりしらなかったという。しかし、将軍秀忠や幼い家光、家綱を補佐するにあたっては、あるべき政道にたち、堂々と意見して、わからないことがあれば幕府儒官の林羅山(はやし らざん)に教えを乞うという謙虚さをもっていた。
 贅沢な格好に流れる家臣をたしなめるために、禁令を出す代わりに自ら粗末な綿服をきて、率先垂範で華美を封じたという。
 1659年(万治2年)に死去した。享年70歳。
井伊 直継 いい なおつぐ  直政の長男。彦根藩2代当主。幼少の頃より病弱で直孝に当主の座をすぐに譲る。後に直継は直勝と改名して、上野国安中3万石に分家される。
井伊 直政 いい なおまさ  徳川四天王の一人。武田家の遺臣を家臣として向かえて「赤備え」として戦場を疾駆して活躍する。
椋原 政直 むくはら まさなお  家老として徳川家康から配され、井伊家を支える。
木俣 守勝 きのまた もりかつ  筆頭家老として徳川家康から配され、井伊家を支える。
近藤 秀用 こんどう ひでちか  康用の嫡子。父康用の後を継いで、主君家康の命に従い直政に仕えているのに、直政と主従関係があることに嫌悪感を覚えていた。
近藤 康用 こんどう やすちか  井伊谷の辺りに勢力をもっており、初め徳川家康に仕えるも、家康の命により直政に仕えるようになる。
西郷 正友 さいごう まさとも  家老として徳川家康から配され、井伊家を支える。
菅沼 忠久 すがぬま ただひさ  井伊谷からわずか東の都田の土豪。
 初め徳川家康に仕えるも、家康の命により直政に仕えるようになる。
鈴木 重時 すずき しげとき  井伊谷の辺りに勢力をもっており、初め徳川家康に仕えるも、家康の命により直政に仕えるようになる。
井伊軍団
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