琵琶湖に浮かぶ水城
坂本城
1.所在地
2.城の種別
3.築城年
4.築城者
5.遺構
平城
1571年(元亀2年)に着工。 1年余で完成。
明智光秀
石垣 ・ 門(聖衆院来迎寺の山門に移築)
国道161号線から撮った、城址公園の入口に建っている坂本城址の石碑
滋賀県大津市下坂本
7.歴代城主
6.簡単な沿革
 1571年(元亀2年)、比叡山を焼き討ちにした織田信長から比叡山監視を任された明智光秀により坂本城は築かれた。
 その有様は琵琶湖の水を引き入れて堀に利用、水城のような体裁であったという。
 1582年(天正10年)、本能寺の変により、信長を討った光秀は山崎の戦い(羽柴秀吉VS明智光秀)で敗れ、坂本城に退却する道中、落ち武者狩りに遭い討ち死にしてしまう。坂本城は留守を預かっていた光秀の女婿(じょせい)明智秀満(ひでみつ)が天守に火をかけて、炎上。秀満自身も自刃した。
 現在、本丸など城の中枢部分跡は、琵琶湖底に沈んでいる。
年代 歴代城主
1571年(元亀2年)
〜1582年(天正10年)
明智光秀  比叡山監視のため、主君織田信長より坂本の地を与えられ、この地に築城する。しかし、1582年(天正10年)本能寺の変において、光秀は主君信長を討つ。その後、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れると、坂本城へ帰城する途中落武者狩りにあい、命を落としている。坂本城は光秀の女婿が火を放ち、炎上している。
8.ご案内
見所  城跡の大半は琵琶湖に沈んでいる。しかし、船着場と思われる箇所の石垣の一部が琵琶湖畔に見ることができる。
入城料 無料
開城時間
休城日 無休
アクセス 鉄道

JR湖西線叡山駅、京阪電鉄石山坂本線松の馬場

名神大津IC〜国道161号線
地図
9.感想
平成14年3月24日(日曜日) 曇り時々雨のち晴れ
 坂本城址は琵琶湖のホントすぐ近くで、すぐ側で釣りをしている人も見かけるぐらいだった。宣教師フロイスが琵琶湖に浮かぶ城と言った話もまんざら嘘でないような気にさせてくれる。ただ、長浜城の感想部分で書いたように琵琶湖が少しずつ大きくなっているとしたら、湖に沈んでいるとされる坂本城の中核部分の石垣はどの辺りに沈んでいるのかが、大変、気になってくる。
 他には、明智光秀像が坂本城址公園には建っているのだが、とても本能寺の変を起こしたような人物には思えない可愛らしい像になっている。最初見たとき、思わず吹き出してしまいました。
 さて、坂本城は現在、石垣の一部と移築された門しか遺構がないということを耳にしていたが、移築された門を今回見つけることはできなかったので、また、今度来た時に探索しようと思う。しかし、石垣の一部は発見することができたので、坂本城のある風景でご確認を〜。
 
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